村上秀一さんとの出会い
ほんとは10も歳が上だし、ボクがドラムを始めるキッカケになった人だから「ポンタ」なんて呼び捨てにしちゃいかんのだが、一般に有名になってから「ポンタ」と親しまれているようだから、まあいいか。
ポンタに初めて会ったのは、ボクが17歳、ポンタが27歳のとき。スタジオミュージシャンとして油の乗り切った時期のポンタに「どうやったらプロのドラマーになれるのか? どうやってプロになったのか」ということを聞きたくて、ほとんど押しかけたようなものだった。
『ギター・ワークショップ』というライブがあったので同級生のベーシストと聞きに行った。そのとき今はもうない六本木ピットインで入り待ちして、なぜか三つ揃えのスーツ姿で現れたポンタに「お話を聞かせて欲しい」と申し出たら「今日は時間が無いから、家に電話して奥さんからスケジュールを聞いてスタジオにおいで」と言われた。
以後数ヶ月にわたって、山下達郎、ハイファイセット、松岡直也、深町純、その他、何のレコーディングか解からないようなものまで、当時のポンタの仕事場であるレコーディングに幾度と無く足を運び、都内の様々なレコーディングスタジオをまわってプロの仕事場を見学させてもらった。何度目かのスタジオ見学のとき「今日は時間があるからいいよ」と、当時ニューミュージックなどのアーティストたちが好んで使っていた銀座の「音響ハウス」の1階にあった喫茶店でポンタの経歴を聞かせてもらった。その内容は、2003年に文芸春秋社から刊行されたポンタの自伝『自暴自伝』の始めのほうに書かれている内容とほぼ同じものだった。
その後、ポンタは大麻の不法所持だかでムショ入りしてしまい、一方ボクは音楽に挫折して、次第に音楽から遠ざかってしまった。
今思うと、なんてもったいないことをしたのだろう。当時の日本のミュージックシーンのかなりコアな場所を覗いていながら、のめりこむ勇気が無かったのだ。ほんとに好きではなかったのだろうか。(つづく)
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