歩くのが好き…

歩くのが好き…
だったはずが、最近チョット億劫…
しばらくウォーキング休んでいたら、体重が増えるわ腰が痛くなるわ、膝が痛くなるわ…。なんか前にも同じようなこと書いた気がするけど、年々状態が悪くなっているような感じだ。
こんなことでは60歳までに歩けなくなってしまうのではないかと恐怖を感じる。とりわけ急激に変化してきたのは膝の痛みで、剣道でしばらく正座したり、風呂などで何分もしゃがんでいると立ち上がって膝を伸ばすまで時間がかかるうえ膝の裏のスジが痛む。今年の春くらいからだろうか。
そんなこんなで必要以上の歩いたり走ったりしゃがんだりをついつい避けてしまう。これが悪循環…。
グチグチ言ってても仕方ない。今日は久しぶりに河川敷を1時間くらい散歩した。気持ちイイけど、なんかシックリこない。しばらくつづけなければ調子がわからない。頑張って続けるべし…。それで改善しなけりゃ、医者に頼るしかないのだろう。
加齢による衰えには抗えない。腰が痛くて長く歩けないという父の悩みが人ごとではなくなってきた。

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見えないゴール

 ここ2、3年の心身の衰えには愕然とする。

 関節の痛む箇所が年々増えているし、人やものの名前が思い出せない。新しいものごとをすぐ忘れる。すぐ眠くなる。老眼が進みメガネを遠近両用にした。長時間熟睡できない。

 40代前半はまだ笑い話だったのに、もう最近ではどこへ行っても近い年齢の人が集まるとすぐソノ手の話になる。

 今やっているすべてのこと。仕事、カヌー、バンド、剣道。いつか復活させようと休眠中の山歩き。実際のところいつまで出来るのかなあ。などと考えていると過ぎ行く時間が惜しくなる。

 若いころ何故あんなに無駄な時間をすごしていたのか? なぜもっと全力を尽くさなかったのか? 

 子供のころは大人になるといろんな経験を積んで、知恵やものの分別もついて偉くなるものだと思っていた。

 ものごとをいろんな目で見ることはできるけれど、ちっとも偉くなっていない自分がいるだけ。たぶん高校卒業時点くらいから、ものの見方はあまり変わっていない気がする。

 だからこそ、ものすごい速さと繊細さで成長している子供を見ていると、よっぽど大人で教えられることが多いと感じるのはぼくだけだろうか?

 いいのかなあ……

 あと2年足らずで天命を知ることなんて出来るのだろうか

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再調整

090920

 いろんな意味で最近あまり健康的な生活をしているとは言えない。そのせいか、けっこう運動している割には、腰は痛いわ、肩は痛いわ、膝も痛い。快眠快食快便からかなり遠ざかって来た感がある。そこで本日は絶好のカヌー日和であるにもかかわらず、自宅近くの河川敷にウォーキングに出かけて、自分の体の調子をみることにした。

 台風がそれたせいか、ほんとに良い天気だ。ただ、困ったことに風が強い。NHK朝の連ドラ「つばさ」にたびたび登場した、河川敷のグラウンドでは子供たちのサッカーの試合が催されているようだが、巻き上がる砂埃はすさまじく風に流されてくると「うわ、毒ガスだ」と身を伏せたくなる。河川敷はいくつも運動場があるのでどこまで行っても砂嵐に見舞われる。

 iPodで音楽を聞きながら早足で歩くのだが、風でイヤホンが外れそうになり、たびたび耳を押さえてやり過ごした。歩くからというわけじゃないけど、最近あらためて聞きなおしているのがクラシックのマーチ。スーザなどの吹奏楽のマーチも嫌いじゃないけど、やっぱり交響曲のほうが好きだ。超有名なエルガーの「威風堂々第1番」とかJシュトラウスの「ラデツキー行進曲」も好きだが、改めて聞きなおしてなぜか涙が流れたのはベルリオーズの「ラコッツィ行進曲」。理由なんか考えたって無駄だ。なぜか無性に心が震えるのだもの。

 まあ、散歩の時には他に歌謡曲でもポップスでもロックでも、お気に入りを適当に聴きながら歩いている。本当は音楽より、川の水音とか、鳥のさえずりとか、自然の音を聞きたいところだけれど、毎回同じコースだとちょっと退屈になる。だから、時間を気にしないために音楽を聴いている。

 さて、かんじんな体調はどうかというと、ひどいときはハッキリ体の悪いところに痛みを意識できるのだが、今日はあまりヒドイ痛みを感じることも無かった。だけど、最近「歩く」という単純な運動が極端に少なくなっていて、少しずつ腹が緩んできてるし、足が重い。

 意識的に歩いて有酸素運動を増やすしかないのだろう。最近、好きなことだけやって忙しそうに見えて生活はだらしなくなっていたのかもしれない。ちょっと反省して改善しようと一応決心。来週、メタボ検診を申し込もうと思っているからではないぞ、決して……。

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折れそうな心に鞭打つのはやめ

 先週、連日のようにハンドロールを練習して、なんとか素手でもいけそうな気がしてきた矢先……。

 なんだか、今までにない腰から脇腹、背中に走る痛み。しかも体の内部の筋肉までこわばった違和感があるので寝ていても起きていても、体を動かすのが億劫だ。おまけに内臓に近い体の内側辺りも筋肉痛のようにこわばっているので、なんだか無理して激しい運動したら背骨全体がバラバラに壊れそうな恐怖を感じる。

 これまでカヌーの動きは体全体をストレッチさせる効果があると思っていて、実際漕いだ後ほど腰まわりはスッキリしていたのだが、どうしたことか?

 おかげさまで、剣道もウォーキングも車の運転もドラムの演奏も、どの姿勢をとっても不意にピキッと痛みが走りそうで気持ちがついネガティブになる。

 朝、目が覚めて天気がよくても、体が痛いので「もう少し休んだほうがいいか……」と少しでも休養する方に気持ちがなびくここ数日。

 ハンドロールって体全体を瞬間的にひねってフネと体を翻すので、柔軟性が衰えてきた筋肉には負担が大きいのだろうか。たいていのカヌーの動きは、正しければ比較的ゆっくりでも良いのだが、ハンドロールだけはゆっくりはできない。それともこれも極めればゆっくりでも出来るのでしょうか?

 まあ、いずれにしても若くない肉体は騙しだまし馴らしていくしかない。しばらく休んで回復の兆しが見えたら、休みすぎて衰えないうちにまたやってみるしかないようだ。

ま、休んだっていっても木曜日から5日間やってないだけなんだけどね。

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老眼

 毎朝7時半には朝食に起こされて、そのあと約1~1.5時間のウォーキングに出かけるのがここ数ヶ月の日課になっている。

 冬の訪れを感じるのは、川の堤防沿いの道を歩いていると遠くの山々がとてもクリアに見えるようになってきたこと。富士山の雪化粧については先日も書いたが、今日は赤城や榛名の方まで見えていたようだ。

「ようだ」というのは、遠望できる山々の名前を正確には把握していないからで、帰宅してから地図で調べて方角とかから判断してのこと。見てすぐ分かるのは富士山。それとセメント採取で削られた秩父の武甲山くらいだ。こんど広範囲に山名を確認できる地図と双眼鏡でも持って行こうかと思っているが、ウォーキングの途中で止まって山を見ていると運動にならないので、そのぶん時間を増やさなければならなくなる。

遠くの景色が鮮明に見えるのは澄んだ空気のせいだけだろうか。

 もともと近眼だったのだが、ここのところ急激に近くのものが見づらくなってきた。老眼の始まりである。近くがとても見づらいので、目が疲れてストレスになっている。子どもの頃、老眼がすすむと近眼が良くなると思っていたが、そんなはずは無い。このごろ遠くがよく見えるように感じるのは、「近くを見るよりも遠くを見るほうが目がラク」ということだろう。そして見る景色が紅葉の渓谷であったり、遠くの山であったりするから気分も清々しく目が良くなったような錯覚を起こしているのだと思う。

 でも、なんだかとってもシアワセ……。ちょっと睡眠不足でも毎朝気分良くいられるのはなんとも贅沢で恵まれている。

 それはそれとして、そろそろ遠近両用眼鏡とか作らなきゃならんのだろうか? これはユウウツ……

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熱中症

 子供につられて始めた剣道。手足のマメや筋肉痛は当たり前なのだが、ついハリキリ過ぎて熱中症になってしまった。

 2時間ほど稽古して少し激しく動いたら息切れして目まいクラクラ。座って休憩しても正座しているのも辛くなり、水道で頭を冷やしたが気持ち良いだけで改善せず結局車のエアコンかけて首筋とわきの下に冷えた缶ジュースを押し当てて30分休憩してやっとなんとか運転して帰った。

 前日、朝方までの仕事で1時間足らずの睡眠しか取らなかったのも影響したに違いないのだが、まいった。2時間後には回復したように思ったが、念のためその後の土日の予定はほぼキャンセルした。

 なんか情けない気もするけど、このところ猛暑で死人が出ていることを思えば無理は出来ません。ふう

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