村上秀一さんとの出会い(その2)
ボクは小学生のころは合唱クラブや器楽クラブでアコーディオンひいたり、コントラバス弾かされたり、鼓笛隊の指揮者をやったりで、マーチやクラシックばかり聞いていた。ところが中学1年のときにスキーで足を骨折して、あまり動けない時期があって、歌謡曲を聴くようになって、百恵ちゃんのファンになった。それから次第に歌謡曲やフォークソングを聴くようになり、ようやく初めてドラムという楽器の存在を知ることになった。
曲の中でショワショワいっている音はなんだろう。
それがハイハットという2枚合わせの足で操作するシンバルで、それはドラムセットの中の一つだと判った時の感動は今でもよく憶えている。
そういえば幼稚園ぐらいのとき住んでいた、東京教育大学(今の筑波大学、大塚キャンパス)の構内で、大学生の部室棟へよく遊びに行っていたのだが、そこでドラムセットを見たことがあったのを思い出した。きっと軽音楽部とかそういうクラブの部室だったに違いない。そしてオーケストラだったら、大太鼓、小太鼓、ティンパニー、シンバルと全て一人ずつ奏者がいるのが打楽器の常識なのだが、大太鼓をフットペダルを使って足で鳴らし、小太鼓や中太鼓やシンバルを手で叩くという、一人で太鼓もシンバルも全部演奏するのがドラムセットだと初めて認識したのだ。しかもポピュラーな音楽は歌謡曲もフォークもロックもジャズもみんなこれだ。小さい頃はドラムセットなんてチンドン屋ぐらいにしか思ってなかったのだと思う。
幼稚園でピアノを弾くことが面白くてピアノを習っては挫折し、中学ではフォークブームでギターを買ってもらってコードを憶えたが、弾き語りがせいぜい。次はベースに興味を持ったが、歌謡曲のカラオケを自分で演奏して遊ぶためで、フォークギターの延長線上。楽譜は一応読めるのだが、リズムと音階の両方を短時間で読み取るほどの力はない。でもドラムは、譜面が簡単だった。それに譜面どおりじゃなくたって、リズムが合っていれば間違ったようには聞こえない。逆に言えば、即興性の強い楽器。自分の感性でいくらでも演奏を変えていいのだ。その自由さに虜になったというのが真実かもしれない。
じゃあドラムはといえば、クッキーか何かの丸い缶の底をくりぬいて米袋のビニールを貼り付けて菜箸で叩いていたのがボクのドラムの始まり。子供の玩具の太鼓よりもお粗末だった。あまりにも音が安っぽいので今度は自分でベニヤ板を丸く曲げて接着して、本物のドラムヘッドを張って同じくベニヤを丸めたフープを針金で締め上げて皮を張った。そうやってドラムを自作し始めて部品調達に困って訪ねた「富士打楽器」という(葛飾区か荒川区あたりだったと記憶しているが)打楽器の町工場へ訪ねて行ったら、古いハイハットスタンドやフットペダル、シンバルスタンド、スネアドラムとバスドラムを捨ててあったので、もらって行って、足りないパーツは売ってもらい、喜び勇んで帰って組み立てた。そして、手製のベニヤ板タムタムと組み合わせて、とりあえずようやくドラムらしくなった。
当時、ロックをやりたいヤツはたくさんいて、たいていフォークギターに飽き足らずエレキギターへと進むのが多かった。キャロルやビートルズが人気だった。でも当然学校はエレキ禁止だ。文化祭のステージもフォークは許されていたが、エレキはダメだと……。
ボクはロックには興味がなく、ドラムが演奏したかっただけだし、特にハイハットシンバルのオープンクローズで出す、「ドッパッ、ドドパッ、ダカダカドコドコ、ドチーチーチー」の「ドチーチーチー」の部分に強いこだわりを持っていたので、ライドシンバルで「チンチンチンチン」とかクローズハイハットでひたすら「チッチッチッチッ」とエイトビートを刻むのが主流だったロックドラムはハッキリ言って「キライ」だった。むしろフォークのほうが音楽として美しいと思っていたから、フォークバンドを組んで文化祭に出たりした。
でも家では、ビートルズやりたいっていう友達とエレキでもバンドやってたんだけどね。
だけどやはり本格的にバンドやり始めたのは高校生になってからだった。
ちょうどそのころ初めてNHKで放送された「小椋桂コンサート」でバックバンドとして仲間と楽しそうに笑顔を見合わせながらドラムを演奏していたのがポンタだった。それは、小椋桂のMCでメンバー紹介されて初めて知った名前だった。
それから、いろんなレコードを買ってはライナーノーツを見てみると、小椋桂意外にもさだまさしやその他、様々なアーティストのアルバムでドラマーとして名前が出てくる。
そして、そのダイナミックで繊細な演奏に魅せられていったというわけ。なにしろ、オーケストラのパーカッションの演奏のように、ピアニッシモからフォルテシモまで、1小節の中にも強弱の変化があり、なおかつ単にリズムを刻んでいるのではなく、休符の無音の中に音符を感じる歌ごころ。
そして、ジャンルに縛られず、どんな音楽にでもあわせる職人ワザ! バックなのにうるさくて目立ちすぎるという批評を眼にしたこともあるが、ボクはそうは思わなかった。 もうまったく感性の世界。
やっぱり、本当に好きだったんだと今になって思う。だって、30数年の時を経てもやっぱりポンタの演奏を見聞きすると胸が高鳴るのを感じずにはいられないのだ。20代のころの演奏に比べるシャープさがなくなったようにも感じるが、逆の捕らえ方をすれば円熟味を増したまとわり付く様な大人の味わいがある。
まあ、最近ちょっとメディアに出すぎていて職人としての裏方的価値が薄らいだ感があるが、多くの人から愛されるのは良いこと。
そして久々に見たポンタのスタンスは、あいも変わらずというか、ますます世界を広げていて、どんなシーンのどんな世代とも音楽することの楽しさを体現していて、やはり魅力的なのだった。
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